
地域や国境を越え、物流・文化・人のつながりを通じて、人々の生活をより豊かにするための仕組みを構築し続けます。
倉庫業にとどまらず、文化支援、農業支援、福祉、災害対策、エンタメ分野まで広く関わり、100年企業として持続可能な未来を築きます。
やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。まず一歩を踏み出すことを大切にする。
嘘ごまかしをせず、出会いや縁を大切に。すべての事象は人と人との関係から始まる。
夢想にとどまらず、現実に落とし込む努力を惜しまず、必ず形にする力を持ち続ける。
人を大切にし、地元を大切にし、すべての命や文化と共に生きる。
伝統と最新技術(メタバース・DAO・VFXなど)を融合し、未来を切り開く柔軟性と好奇心。
昭和41年3月9日。茨城県坂東市(当時は岩井市)に、父・健一、母・沙久枝の長男としてこの世に生を受けました。
当時、父はサラリーマンで、家畜用の薬を扱う会社に勤め全国を行商しており、その後は地元でドライブインやゴルフ練習場の経営など様々な挑戦を続けていました。
母は群馬県出身で、刑務官の家庭に生まれ、警察本部の秘書課で働いた経験を持ちます。
両親は見合い結婚を経て家庭を築きました。
幼少期は静岡や群馬など、家族の仕事の都合であちこちを転々としました。そんな中、保育園の頃からは父の実家である茨城で落ち着くようになり、小学生時代をそこで過ごしました。
小学2年生の頃には、祖父(元・校長先生)が他界。さらにその年の水泳大会に出場した当日に、曾祖母も亡くなり、幼いながらに“人の死”というものを強く意識する出来事でした。
高校では演劇部に所属しながら、同時に陸上部にも在籍。ハンマー投げで北関東大会にまで進出しました。
大学は日本大学芸術学部演劇学科に進学し、なぜかアメリカンフットボール部に所属(笑)。
1989年には東宝映画『マイ・フェニックス』(主演:富田靖子)にも出演しました。
卒業後は英国へ留学。当時、現・天皇皇后両陛下も英国に留学されており、不思議なご縁を感じたものです。
また、オックスフォード大学に留学していたラグビー日本代表・林敏之さんとも語学学校で知り合い、今でもご縁が続いています。
約2年のイギリス生活を経て帰国。いったん父の会社である「前山倉庫」に就職するも、1年で退社。東京で演劇活動に専念しました。
30歳を迎えた1996年、地元に戻り家業を手伝い始め、翌年には結婚。そして2003年、37歳で前山倉庫株式会社の社長に就任しました。
海外への挑戦も忘れていません。2014年、カンボジア・プノンペンのイオンモールのフードコートにて、知人と共同でカレーショップを開業。市内には路面レストランも展開しました(※現在は閉店)。
2018年、東京・秋葉原で突然の脳梗塞に襲われ、救急搬送・緊急手術・リハビリと命と向き合う経験もしました。
そして2021年、東京オリンピックの聖火ランナーとして地元・茨城県内を走るという光栄な経験もさせていただきました。
総倉庫床面積:東京ドーム1.5個分
倉庫業・運送業を中心とする総合物流事業(総倉庫床面積:約2万坪)
Eコマース対応や海外物流(通関・輸出入)まで幅広く対応
DX化(ビッグデータ・AI・IoT)の推進、「SMART LOGISTICS INNOVATOR(SLI)」構想に取り組み中
茨城県坂東市を拠点に、観光誘致や道の駅企画などを推進
地元酒蔵「秀緑」のPRや企画に協力(グランプリ・金賞受賞歴あり)
NPO法人などを通じて日本酒販売や地域経済への貢献を目指す
ロケ地提供、ロケバス・ロケ弁・エキストラの手配など映画・映像制作支援
VFXスタジオや小道具提供にも関与
NHK大河ドラマ「千姫」の実現と出演を目指す
常総フェスの開催
クリスマスマーケット、コミケ、コスプレイベントの開催を構想
「エジンバラ・フェスティバル」のような文化イベントを茨城で開催したいと考えている。
障がい者・高齢者支援
ペットの殺処分ゼロを目指した活動
災害支援(アレルギー対応非常食、災害時物流の構築)
最終的には国際救助隊の設立を目指す
メタバース関連事業への出資
オンラインBarの運営
DAO(分散型自律組織)、GameFiなどWeb3領域への関心
農作物の六次産業化や販売支援
オリジナルブランド「八兵衛ブランド」の確立を目指す